第二話

なーんにも考えずに上京

   数々の仕事を渡り歩いた結果・・・

 

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<第二話、補足>

本当に何も無いところからのスタートでした・・・

 

東京に出て来た時は5万円と着替えのボストンバック

1個だけで本当に他には、なーんにも無かったんです。

 

九州の団地は家具もほったらかし・・・

 

そのまま解約手続きもしないで突然東京に上京した感じです(汗)ほんと若いって凄いですよね(笑)

 

 

なーんにも考えず、怖い物もなーんにも無いのですから 、とにかく東京に行けば金持ちになれると信じました。

 

アホとしか言いようがない若造でした・・・

 

 

東京に来てからは色んな仕事をしました。

 

とにかくお金が無かったので、その日暮らしの日銭が貰える 仕事という事で、ホストをやっていた先輩のお客さんから、ピンクサロンの呼び込みの仕事を紹介してもらいました。

 

 

当時はまだボッタクリが普通の時代でした(笑)

 

社長!!!

 

今日は入ったばっかりの、マジで素人のお嬢様!!!

スタイル抜群で感度も抜群ですよ!!!

 

今なら直ぐにご案内できますよ、1万円ポッキリ!!!

 

ほとんどのおじさんは、この言葉でご案内いただけました(笑)

 

 

でっ・・・

 

 

お店に入って出て来るのは、カツラを被った60過ぎのおばちゃん!!

 

薄暗ーい店内なので、一瞬では分かりません・・・

 

 

しかも何もしないまま、おばちゃん達が入れ替わり立ち代わりお客さんの相手をして、次々にカードを切らせます。

 

結局最後まで何もしないで、お会計は数十万・・・

 

 

俗に言う、やらずボッタくりです。

 

 

店から出て来たお客さんは、激怒しながら私を探します。

 

私は当然見つかるとヤバイので隠れています(笑)

 

 

あの野郎何処に行きやがった!!!

 

とか言いながらフラフラしながら帰って行きます。

 

 

本当にあの当時のお客さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

ごめんなさい!!!

 

 

そして日払い限度額1日2500円(月給の一部)をいただいて、二階の倉庫にあった二段ベットを借りて寝るという毎日でした。

 

お風呂は無いのでお店の厨房の湯沸かし機にホースを付けて体を洗っていました。

 

 

その後色んな仕事を転々とし、佐川急便に面接に行ったのですが

 

面接時に目的を聞かれ、2年で5000万貯めたいですと言ったら・・・

 

不採用の電話すら掛かってきませんでした(笑)

 

 

 

そうして、産業廃棄物収集運搬というお仕事に定着することになりました。

 

 

募集の内容にはインテリアの軽い廃材を運ぶお仕事と書いてあったのですが・・・

 

実際現場に行くと・・・

 

 

 

なぜか・・残土とコンクリートの山が有ります・・・

 

 

あれ?

 

 

廃材が無いなぁーと思いながら会社に確認。

 

 

電話口で、そこに残土の山が有るだろ、それだよ!!!

 

 

これ・・一人で積むんですか!!!

 

そう、頑張って。

 

・・・

 

一人でスコップ一つで4トンダンプ一杯になるまで延々5時間!!!

 

 

泣きそうになりながら積み切りました・・・

 

 

騙された!!!

 

 

絶対に辞めてやると思いながら、一か月が過ぎ最初に貰った給料が40万円!!

 

 

おぉースゲー!!!

 

 

23歳の若造にとっては当時の40万は凄い金額でした。

 

 

先輩達は50万から70万くらい稼いでましたから、私も欲が出てそのまま頑張ることにしました。

 

気が付けば会社のトップドライバーとなってました。

 

その後は4トンダンプを3台所有し諸費用などは自分持ちで会社の専属下請けとなり一回13000円の契約で独立しました。

 

 

運転手の給料は一回6500円、あとガソリン代や高速道路代などの諸費用を引いても一台月30万くらいの利益が出ていました。

 

自分も走るのでその当時の給料は、手取りで150万位にはなっていた。

 

 

当時は確定申告もしないで、給料全部自分の物、若かったので使いたい放題で、貯蓄はほとんどしてない状態だった・・・

 

 

バブル崩壊後、会社が暇になりこのままではまずいと考えていた私は、ちょうど6ヶ月の免停になったこともあり、解体工事の修行に行くことにしました。

 

嫁のお父さんの紹介で腕のいい解体職人の下で働かせて貰うことになり出来るだけ6ヶ月で盗める技術は盗もうと必死で仕事を教わりました。

 

 

6ヶ月後、会社に戻り解体部設立のご案内を既存顧客にしてもらい、私は解体部、部長に就任することになったのです。

 

社員は私一人ですが(笑)

 

最初は小さいお仕事をいただきながら

少しづつ仕事の幅を広げていきました。

 

 

その内に見積り依頼が来るようになりました・・・

 

しかし・・・これには若干参りました!!

 

どうしよう・・・

 

俺、見積りのやり方習って無いから分かんねぇー!!!

 

でも見積り出来ませんとは言えないしな・・・

 

 

しょうが無いので自己流で何とかするしか無いということになり、まずは原価を出して見ました。

 

原価と言っても職人さんの人数×日給と廃材の量×金額を算出した程度です。

 

それに工具損料と諸経費を概算で計算して利益を25%乗せるようにしました。

 

そしたら出す見積もり出す見積もり、ほとんどが決まって来るのです・・・

 

今考えると相当安かったのだと思います。

 

1現場辺りの粗利を細かく計算し統計を

取っていくと、平均30%程度の利益が

出ていました。

 

 

見積りのコツも段々と分かるようになり

仕事は増える一方です。

 

2年程度で元々の産廃業の売り上げを

超えてしまいました。

 

バブル崩壊直後で、業績が下がる会社が大半の中、売り上げが倍になったのですから

メイン銀行の支店長はビックリしていました。

 

適正価格の見積りも良かったのですが

他にも気を付けていたポイントがあります。

 

そのポイントとは

 

・最初の見積り金額は原価か若干マイナス

・言葉使い(タメ語禁止)

・あいさつ(他の業者にも挨拶)

・整理整頓の徹底(最後は徹底して掃除)

・業者としての使い良さ(仕事を断らない)

・見積りはその日か遅くても翌日に提出

・工期は赤字になっても守り抜く

 

主にこの7項目は意識して守るように

していました。

 

 

そして勢いに乗ってしまった私は

次の戦略を考えて社長に提案しました。

 

社長次は産業廃棄物を処理する工場を作りましょう。

 

千葉か埼玉辺りに安い土地借りて取り合えずそこでリサイクルして利益を出しましょう。

 

他の産廃業者の廃材も有料で受け入れれば、売上も利益も上がりますよ

 

と、提案しました。

 

 

そして数日・・・

 

社長が何を感じたのかは私には分かりませんが

突然の悲劇が起きたのです・・・

 

 

(第三話へつづく)

 

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